他人を説得する

最近、「何をするにも、他人を説得しなければならないなぁ」
ということをとみに感じてます。

例えば、働いている人のことを考えれば、

営業は、自社商品の良さがどれだけよいか、ということを
顧客に説明しなければならないし、

コンサルタントなら、自分の提案がどれだけ顧客企業にとって利益を
もたらすかを説明しなければならないし、

研究・開発職なら、自分の開発したものがどれだけの利益を生み出す
ものであるかを説明しなければなりません。



それって、つくづく研究者でも同じだなあと感じます。

研究者の報告というのは、主に発表&論文で行われます。
ただし、学会などでの発表は時間が限られるので、
アピールポイントしか言えないので、
相手を説得するような詳細な議論は主に論文で行われます。


で、結局研究者にとっては、その論文を書くことが全てなんですよね。
どんなに素晴らしい研究をしたとしても、論文を書かなければ
全く認められないし、逆に論文を書いてさえいれば、
大したことのない研究でも(ホントに大したことのない論文は
採用されないですが)、業績として認められます。


実際、研究職でも年に論文何本、みたいに論文の本数で
業績が評価されますしね。
もちろん、ちゃんとした学会に論文を通すのは難しいので、
本数でもきちんとした評価にはなるのですが。


で、その論文の中で、他人を説得する手段として用いられるのが、
「実験と評価」になります。


えー、実際論文では、まず自分の研究のどこが優れているか、
どの点が新しいか、ということをアピールします。
ですが、新しい点は言葉でアピールできても、優れている点は、
言葉でアピールするのは難しいです。

というのも、いくらでも言葉で煙に巻けてしまうからですね。
もちろん、ちゃんとした研究者はそんなことはしませんが、
ちゃんとしていない研究者もいっぱいいるので、
きちんとした数値的指標が必要となってきます。


そこで、用いられるのが「実験と評価」です。
簡単に言うと、

「私の研究成果を使って実験すると、従来の技術と比べて
こんなに実験の結果の数値がよくなりました」
ということですね。実験し、その結果を評価し、それを
従来の技術と比べることで、自分の研究の良さをアピールするわけです。

よく学部生や修士1年などが、「で、評価は?」ということを発表の時に
口を酸っぱくして言われるのはこのためです。

私も以前は「評価に何の意味があるのだろう?」と思ってましたが、
結局自分の研究が優れていることを示すためには、
何らかの数値的指標が必要になるんですよね。

だからこそ、「実験と評価」が論文や発表において重要になってくるのです。


でも実際、数値的に評価するのが難しい研究も山ほどあります。
私の研究もまさにそれ。
ってか、自然言語処理の研究はそういうのが多いです。

だって、「国語辞典の良さを数値的に評価しなさい」と言われているようなものですから。

「他と比べて用例が優れています。」と言葉で説明するのは楽ですが、
それを数値的に表すのは難しいです。

ま、なんとか強引に自分で評価方法を考えて、評価するわけですが。
でも、逆に言えば、強引に評価方法を定めてしまえば、
いくらでも良い数値は出せるので、
学部生などが評価に疑問を持つのもわかるのですが・・・・。



だから、万人を説得できるようなきちんとした評価方法を考え、説明し、
さらにそれによって、自分の研究の優位性をしめさなければならないわけです。



結局結論としては、働いていても、研究をしていても、
自分が何を成したか、自分がどのように貢献しているかを示すためには、
何らかの数値的裏付けをもって他人を説得しなければならないんですよね。


そういった意味では、研究者も社会人もあまり変わらないのかもしれません。

とか言っておいて、今更いうのもなんですが、
法学の議論のように、数値的な話は抜きで行われるものも結構ありますねー。。


というわけで、長い割にオチ無しの話になってしまいました。
うーん、まとまってない・・・。